アセクシャルが抱く違和感
アセクシャルとは、性的マイノリティーの中でも他者に対し恋愛感情や性的関心を抱かないタイプのことを言います。そもそも十分に理解されているとは言いづらい性的マイノリティーの中でも特に認知が遅れており、専門研究も進んでいません。ノンセクシャルという性的マイノリティーもいますが、ノンセクシャルが「他者に対して性的関心は抱かないが恋愛感情は抱く」のと違い、アセクシャルは他者に対して性的関心も恋愛感情も持ちません。アセクシャルは周囲が性に芽生える思春期にはなぜ周りが恋愛や異性に興味を持つのかが理解できません。そして単に自分が性的に未熟なだけなのかと悩み続けている内に成長するのですが、やはり他者に恋愛感情を持つことはできないのです。
アセクシャルは性的マイノリティーの中でも特に少数とも言われており、相談する相手もいなければそもそも当人も自分が性的マイノリティーであるかもしれないという認識も遅れがちです。LGBTであれば比較的早い段階で「自分は性的マイノリティーのようだ」という認識を抱きやすいのですが、アセクシャルはただ自分は異性に対してあまり興味を持てないようだという程度の認識しかないのです。
アセクシャルに対する理解が進む社会に
本人にとっては大した問題ではなくても、周囲は放っておいてくれません。一定の年令になると、友人たちからは彼氏・彼女を作らないのかとしつこく聞かれることもあります。また家族からは結婚しないのかと急かされることもあります。あるいは異性から告白されることもあるでしょう。アセクシャルが戸惑うのはそういった時です。自分は異性に対して興味を持てない。恋愛感情もなければ、性的欲求もない。どこかのタイミングで、アセクシャルは自分がゲイまたはレズビアンなのではないかと悩みます。友人に対しては友情も感じ、興味も持つからです。
しかし性的欲求を持つことはないため、単に異性に興味がないだけなのだということを周囲に伝えます。周囲はその内に恋愛に興味を持つと慰めてくれますが、アセクシャルにとっては理解できず、また繰り返し同じように言われるとしまいには罪悪感すら感じてしまいます。そしていつまで経っても異性に興味を持てずにいると、「冷たい」と言われてしまうこともあるのです。しかしアセクシャルは冷たいわけでもなければ異常でもありません。アセクシャルだからといって恥ずかしがる必要などなく、それは一つの生き方なのです。LGBTについては社会的にもだいぶ理解が進んできました。同じようにアセクシャルについても理解が深まる社会を作らなければなりません。